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オープンソースな医療情報

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オープンソースな治療法 その24(陰徳)

これを治療法として、紹介して良いか、迷いました。しかし、大きな範囲で、人間が健康でいられるのために、何らかの関係性はあるのではないかと思いますし、何より、人は徳を積む事で、人格を向上させる事が出来ます。健康になるかどうかは何の保証も出来ませんが、とりあえず、ユングのいう、人格的成長となると思います。

 

さて、その前に陰徳とは何か?なのですが、簡単に言えば、

 

「隠れて、善行をすること」

 

です。隠れてというが最大のポイントで、他人に善行がバレてはいけません。どこまでを「隠れて」というのかは難しいのですが、とりあえず、自分から他人に言う場合は、完全に陰徳では無くなります。つまり、

 

「私、ボランティアしているんだ」

 

といえば、それは社会的な善行か否かは別にして、陰徳では無くなります。行為自体は些細な自分が出来る事で構いません。しかし、完全に人に見つからずに善行をする事は現代では難しいと思います。例えば、公園の掃除をする。都会だと、誰かに見られる事はあると思います。それだと、陰徳でなくなるのか?おそらく、陰徳の趣旨は

 

見返りを求めない、自己満足すらない精神を行為として、発揮する事

 

にあるのではないかと思います。人に言ったりするのは、どうしても、自慢の気持ちが出てしまい、そういった精神が失われてしまうので、言ってはいけないという事なのだと思います。誰かに見られたとしても、それで、自分の心が動かなければ良いのだと思います。そのため、陰徳のポイントは、些細なレベルの行為を習慣化してしまう事だと思います。もう、当たり前だと思うまで、習慣化してしまう事です。どこか、自分が良い事をしている事に酔ってしまう人は、少なくとも陰徳にはなりませんので、注意です。それの良し悪しは別です。たとえ、自己陶酔感があろうと、誰かの役に立つなら、それは良い事でしょう。ただ、陰徳ではありませんので、徳にはなりません。

 

神社でお賽銭をして、勝手なお願いごとをするよりも、ひたすら、陰徳をしてみましょう。神様は何よりも、陰徳を好みます。もちろん、見返りを求めたら、陰徳では無くなりますので、ちょっと、矛盾していますけどね。陰徳を積むほど、貴方が本当に困った時に、助け舟を受けやすくなると思います。もちろん、その因果関係は人間にはわからないようになっているはずですが。

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