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私的版 音霊法

音霊法は、宗教的な修行法の一つとして、伝承されてきたものですから、一般の人には”宗教(たとえ、伝統的なものであっても)”というだけで、嫌がる人も少なからず、いると思います。しかし、その効果は、他に無いものがあり、直接、教えた方の中でも、

 

「不思議だが、効果がある」

 

という意見が少なくないのです。そこで、私は音霊法の宗教色を一切、廃して、純粋な

 

瞑想法の一種として、捉えてみました。

 

中には、瞑想にも、インドのヨギがやる、宗教的なイメージを持っている人がいるかと思うのですが、瞑想というのは、要するに、

 

何か、一つの事に集中する、純粋な観察

 

の事です。そして、何より、大切な事は、その際、

 

評価を下さない

 

事です。痛いなら、痛いをそのまま、受け止めます。ガマンするのではありません。他人の感覚のように、観察するのです。評価をするかどうかは、意思の力で出来ます。思考は止められませんから、どんどん、出てくる雑念をそのまま、評価せずに、受け流していくのです。

 

瞑想には様々な方法があります。動く事で、出てくる身体感覚を観察する方法(ヴィッパサナー)、呼吸を観察する方法、マントラ(真言)を頭の中で繰り返し、唱える事に集中する方法。阿字観という、文字を心に焼き付け、観察する方法、そして、単純な音を観察(音は観察というより、聞くわけですが)する、音霊法。

 

なぜ、このような単純な事で、癒しが起きるのでしょうか?

 

それは、私なりの仮説があるのですが、あくまで、仮説に過ぎませんので、その点、ご了承の上、読んでください。

 

私達は、四六時中、何らかの思考をしています。「おなかすいたなー」とか、「あの件、どうなってしまうのかなぁ」とか、内容は様々ですが、思考をしているというより、

 

思考を止められないのです。

 

 実はこれが病を増幅させてしまうエネルギーになっている可能性があるのです。人は一旦、病の辛い状態を体験すると、ずっと、それが気になります。さらにそこから派生する将来への不安など、マイナス思考が四六時中、やってきます。これが、自然治癒力の発動を抑えてしまうのです。その為、瞑想で、今、この瞬間を意識する為に、何か単純な事をひたすら、観察する作業をする事で、これらの思考の毒から距離を置けるのだと思います。

実際、近代の音霊法、紹介者の友清歓真は、頭にこびりついた、フォビア(恐怖症)を消去する為にすると言っています。

ちなみに、瞑想や坐禅を「無になる為の技術」だと思っている人が多いと思うのですが、それは結果論(無になる瞬間があるだけ)でして、瞑想自体は、決して、思考を停止するわけではありませんし、そんな事、出来ないからこそ、瞑想という技術があるのです。

よく、ストレスで病気になるという、ストレス学説を支持している人がいますが、ストレスも実は、ストレスを受けた瞬間よりも、後に自身の思考(記憶)で、何度もフィードバックする事による、ダメージの方が圧倒的に大きいのです。

例えば、誰かにバカにされた事があったとして、その事実自体はその瞬間だけです(長く感じるかもしれませんが)。あとは、あの人にバカにされた、あの場所で、あんな風に...と、時間が経ってから、何度も自分の頭の中で再現しているのです。そして、時が経つほど、その再現性は低くなり、後に同窓会などで、確認してみると、事実と全く、違っていたなんて事もあるほどになるのです。つまり、これも一種の思考毒と言えます。

私達は自分の思考が毒にも薬にもなっていて、それは、四六時中、止められないのです。

その為、瞑想をなぜ、する必要があるのか?と問われた、あるヨギはこう言ったそうです。

 

「そうしないと、人は狂ってしまうからだ」

 

現代医学は常に外に敵(病気の原因)を探して、仮想敵を作り上げます。

 

しかし、本当の敵は己の中にあります。その最大のモノが思考だと言えます。

これが私の仮説です。

 

宗教家の説明だと、神と合一するとか、仏性と一体化するとか、難しい表現が出てきますが、そのような事は気にせず、思考の毒から身を守る手段として、始めてみてはどうでしょうか。

おそらく、大半の人は神と合一はしませんから、大丈夫です(笑)。それよりも、このような仕組を人体が持っている事に感謝して、ありがたく、試してみるのが良いと思います。

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