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オープンソースな治療法 その10(生きがい療法)

”生きがい療法”というのがあります。元々はガン患者ばかりを集めて、モンブラン登頂をはたした、伊丹 仁朗先生で有名になった言葉だったと思います(伊丹先生の発案・命名ではないと思いますが)。真の原因かどうかは別として、人間が病気になる直前とか、直後は多くの場合、希望欠乏症になっているのは間違いないと思うんです。私はいつも、自分の患者さんには、こんな話をします。

 

「人間は食べ物と飲み物と空気以外に、完全に無くなってしまうと、死んでしまうものがあります。それは希望です。」

 

若くして、突然死とか、自殺といった事は、医学的、精神病理的にそれなりに説明がつくのでしょうけど、遺族や、私達のような医療関係者の一部はどうしても、腑に落ちないケースが多いと思うのです。

 

これは私の仮説というよりも、単なる想像でしか無いのですが、人間というのは目に見えない、希望というバロメーターのようなものがあって、それがゼロになると、自動的に死んでしまうか、死の衝動にかられてしまうのではないか?と思うんです。

 

俗にいう、生命力というのは、食べ物や酸素と希望が合わさって、出来ているのかな?という気がするんです。さすがに酸素が無くなると、死んでしまうのは誰でも納得すると思うのですが、希望が無くても、生きている人はいくらでもいるんじゃないの?私だって、もう、課長止まりで出世も望めないから、希望なんか無いよ、なんて思っている人もいると思います。

 

私の言う希望というのは、そういった日常的な欲求のレベルではなくて、伊丹先生の言う、”生きがい”の事です。逆を言えば、死ぬ直前は生きている意味を全く、感じない状態です。課長止まりの人も家族がいたり、他人から見て些細な事でも、個人的な楽しみがあったり、何らかの生きている実感を味わう瞬間を日々、持っているはずなんです。そういった、些細な日常にある、幸福感が、全くゼロになってしまうと、人間は生命エネルギーが無くなって、生きていけなくなるのではないかと思うんです。

 

これは篠原佳年先生の本に書いてあった事ですが、篠原先生がインターン時代にある病院に宿直をしていたそうです。そこは救急病院だったので、ある日の夜中に重症の女性患者が運ばれてきました。直接、治療にはあたらなかったものの、はたからみても、明らかにもうダメだなと思える状況だったそうです。ところが、ある日、病院でその女性に出会うのです。すっかり、元気になって、退院すると言います。驚いた篠原先生、周囲に事情を聞いてみると、入院中、

 

「私にはまだ、小さな子どもがいる。絶対に死ぬわけにはいかない」

 

としきりに言っていたそうです。そうです、子供という生きがいが彼女に強い生命エネルギーを与えていたのです。実はこれと同じようなケースが私の身近な人にもいます。髄膜炎という重い症状を起こしたある男性は臨終が近いというところまでいって、医師の呼びかけに従い、親族がベッドに集まるという状況にまでいきました。ところが、その時に

 

「オレがいなくなったら、子供も嫁も兄弟も路頭に迷う。絶対に死ねない。」

 

と強く思ったのだそうです。彼はその後、奇跡の回復を遂げます。

 

さて、ここで言いたい事はいわゆる、美談ではありません。このブログに以前、書いていた事と、正反対の事を言っている事に気づかれたでしょうか?そうです、

 

「病は忘れたら治る」

 

というヤツですね。これと、病を克服すると、強く願う事は矛盾するではないか?という事です。実は、病を忘れるというのは、他に幸福な事に集中するから、忘れているケースがほとんどで、絶対に死ねない!と強く願っている人も、そう、願っているから治ったのではなく、その裏に隠された、”生きがい”があるからではないか?と思うのです。

 

孫の世話を夢中にしていたら、薬を飲む事すら忘れていたのに、症状が好転したリウマチの女性にしてもそうです。孫という、生きがいを手に入れたから、病を忘れ、治癒していった。こう、考えられないでしょうか?もちろん、以前、書いたように、病に囚われない心理状態が回復の手助けになった事はあると思うのです。ただ、それだけだと、「私は死ねない!」と強く、願った人の説明がつきません。忘れるどころか、立ち向かっていく姿勢ですから、強く、病を意識しているわけですから。

 

もちろん、先に言ったように、これは仮説にすらならない、ただの私の想像に過ぎません。マイケルサンデル教授ではありませんが、このブログを見ている方、それぞれが一考していただけたら、幸いです。

 

なお、生きがい療法は森田療法が基になっている、正式な治療法の一つになっているそうです。ご興味のある方は、伊丹先生のHPからリンクをたどって、「生活の発見会」を見てください。

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